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● ローマン・ヴィアゾフスキー インタヴュー


Roman Viazovskiy

1974年ウクライナ共和国のドネツク生まれ。第43回東京国際ギターコンクール第1位の実力。ジャパン・ツアーで来日。

---新井---
コンクールから通算すると3度目の来日。今回は本格的な日本全国ツアーでしたが本当にお疲れ様でした。おとといのGGサロンでは、「東京国際の興奮をもう一度」「ぜひ一度聴たい、見たい」という人で満員の盛況ぶりでしたね。今回はどこを周りましたか?

---ヴィアゾフスキー---
大阪、福岡、徳山、福島、札幌、東京です。

---新井---
演奏も熱かったけれどステージも暑かったのでは?

---ヴィアゾフスキー---
はい。日本の4月はまだまだ冷えると聞いていたので、かなりこたえました。私は育った国がとても寒い環境だったので、どんなに寒くても弾けるのですが、暑いのは苦手です。でも演奏している最中は音楽以外なにも感じなくなるので大丈夫でした。

♪ 音楽大学で師事した先生はギタリストではない?

---新井---
私も感じましたがものすごい集中力ですよね。まずは幼少時代からの音楽遍歴などを聞かせてください。

---ヴィアゾフスキー---
1974年ウクライナ共和国のドネツクで生まれました。父がウクライナの民族楽器“バイヤン”(ウクライナのアコーディオンでバンドネオンのように両手ともボタンになっている。)の国民的奏者で、バス・バラライカやパーカッションなどの楽器と5重奏団を組んで国内外を演奏してまわっていました。家にはいつも音楽があり、父もいつかは私に楽器をやらせてみようと思っていたようです。そして私もバイヤンに興味を持ちいつの日にか一緒に練習するようになりました。当時8歳くらいだったと思います。右手はメロディーで左手は和音や伴奏を受け持つのですが、片手だけまではうまくいったのですが、いざ両手で曲を弾こうとするとうまくタイミングがとれず、2ヶ月くらいでいきなり壁にぶつかりました。

---新井---
ずいぶんとはやい“壁”の出現ですね。もちろん毎日練習していたんですよね。

---ヴィアゾフスキー---
いえ、練習しないならもう止めろと言われました。また「このままだらだら続けていて下手な演奏でもされたら恥ずかしい」と。それでやる気が無くなってやめてしまった。

---新井---
厳格な父親だったんですね。それでギターとの出会いは?

---ヴィアゾフスキー---
ギターはもうちょっと後。バイヤンとギターの間にバレーがある。

---新井---
バレー!!ってバレーボールじゃないですよね?

---ヴィアゾフスキー---
笑!!バレエ。しかも立派なクラシックバレエの教育を5歳から12歳まで受けていました。これからギターが出てくるんです。

---新井---
きっかけは?

---ヴィアゾフスキー---
すごくありがちなんですけど、スペイン民謡のロマンスを聴いて「これだ!」っと思って父にギターやりたいと伝えました。しかし一度バイヤンで失敗しているのでなかなか首を縦に振りませんでしたが、何週間か説得してなんとかギターを買ってもらえました。数ヵ月後には50人の聴衆の前でひきました。

---新井---
またそれもはやいですね。どんな曲を弾いたんですか?

---ヴィアゾフスキー---
単音のメロディーだけの曲。右手は指一本でひいてたよ。そのあとすぐに和音も弾けるようになったので、ヴィクトル・クリヴェンコ女史に習うことになりました。14歳になったとき、音楽学校に行くように薦めてくれて、簡単な入学試験がありますが、入ることが出来ました。そこはドイツで言う“ムズィークシューレ”(実技のみの音楽学校)ではなく、週2回楽器の実技レッスンと聴音、音楽史、副科(ピアノ)、そしてオーケストラの授業があり、そこに通う子供達は遊ぶ時間がないほどです。もちろん一般の学校にも通うよ。両方とも国営または市営だから費用もあまりかからない。

---新井---
すごいシステムですね。日本には“塾”というのがあって、一般の学校に行ってさらに町にある学校お金を払って行く。ウクライナには音楽専門があるわけですね。日本にはまだまだそういう徹底的な教育は少なくて遅れているのかなと思います。街にはそういう音楽学校はあると思うのですが、音楽大学にギター科が少ないのと同じく、まだギターがコンサート楽器としての地位が低いのも原因です。また費用もたくさんかかってしまうし。

---ヴィアゾフスキー---
音楽学校では6年間ヴィクトル・クリヴェンコ先生に師事し、18歳で音楽学校のディプロマをもらって卒業して、その後4年間音楽大学でヴァレヴィー・イヴコ氏とともにさらに修行しました。ウクライナ全体で音楽大学は5つしかなく、しかもちゃんとしたギターの先生がいるのは実家から500キロもはなれたところだったので、地元のドネツク音楽大学にしました。

---新井---
イヴコ氏はどのような先生でしたか?
---ヴィアゾフスキー---
実は彼はギターの教授ではなく、ロシアの民族楽器ドムラという楽器の先生です。ウクライナでは第一人者で、ピアニストのエミル・ギレルス氏の弟子としても有名です。

---新井---
ちょっとまって(笑)!ギターの先生ではないのですか?

---ヴィアゾフスキー---
そう(笑)。ドムラという楽器はロシアのマンドリンみたいなもので、、、ギターは全く弾けないし、持ち方さえ知らない。しかし彼はどの楽器の人にでもレッスンすることができるのです。それはエミル・ギレルス氏のメソッドからきていて、どんなに難しい個所があっても彼に聴いてもらえば15分で解決する。どうしても難しいと感じるところを徹底的にゆっくり弾かせて、自分でどのように弾いているかを分からせる。そして“この音”のために苦労してるという“この音”と一つ前の音をゆっくり練習させ、またその音をよく聴き取らせる。そしてその小節が解決したら先に進む。録音の編集作業みたいですが。

---新井---
部分練習といっても難しい小節を何回もというより超部分練習ですね。イヴコ先生は“その音”を聴き取って難所や問題を適切に指摘してくれるのですね。

---ヴィアゾフスキー---
音楽的にもひじょうに影響を受けました。ドムラで弾いて示してくれたりして。

---新井---
他の楽器の人に4年も習うなんてちょっと想像つかなかったけど、先ほどの“超部分練習”はアルヴァロ・ピエリ先生も薦めていましたよ。

♪ 渡独は運命的

---ヴィアゾフスキー---
96年にギター演奏家、ギター教授、指揮者、指揮法教授としてのディプロマを修得し、ドイツへ渡りました。ドイツではデトモルト音楽大学ミュンスター校でラインベルト・エヴァース教授に師事しだしました。

---新井---
エヴァース先生は何度か来日し、知られざる現代曲を広めようとしている人で、GGサロンでもコンサートをしていますね。どのように知り合ったのですか?

---ヴィアゾフスキー---
エヴァース先生は何度かロシア、ウクライナを訪問していて、ドネツク音大に在学中、講習会を聴く機会がありました。レッスン内容はとても気に入りました94年にドイツの学生と交換コンサートをしたときに、彼に電話して個人レッスンをお願いしたんです。私のところに来るならいろいろ手助けするよといってくれて、入学が決まりました。エヴァース先生に会っていなかったら今ここで君としゃべってないよ!

---新井---
そんなにすごいことだったんだ!

---ヴィアゾフスキー---
ウクライナから西側のドイツへ行くことは大変なことなんです。ヴィザの問題やら金銭的な問題など。幸い95年にはウクライナ大統領から奨学金、97年にはドイツのヴェストファーレン州の経済団体からも奨学金が出ました。西にくるきっかけを作っていただいたエヴァース先生にはとくに感謝しています。あと精神面、プライベートの問題も面倒見ていただきました。

---新井---
プライベート?

---ヴィアゾフスキー---
そう。結婚(96年)してすぐにドイツに来たんですが、とにかく最初の半年全く集中できませんでした。

---新井---
イナさん美人だもんね!

---ヴィアゾフスキー---
うん(笑)。妻は音楽理論を勉強したかったのですが、ミュンスター音大には音楽理論科がなく、困っていたのですが、エヴァース先生が音大の学長でしたので、音大にコンピュータ音楽科と称して新しい“科”を開設してくれました。これは本当プライベートごとで恐縮なのですが。

---新井---
でもその後アーヘンにきたんですよね。

♪ 爪は音楽を操る重要ポイント

7---ヴィアゾフスキー---
アーヘンの佐々木教授とは94年のポーランド国際コンクールで初めてお会いしたのですが、、、あ、君とも始初めてあったんだよね。98年にアーヘン郊外の音楽学校から講師の誘いがありました。そのとき金銭的に苦しかったし、爪の形で悩んでいました。また98年再びポーランドで佐々木教授にお会いし、爪の問題について相談に乗ってくれて。今の問題を解決するにはアーヘンに行こうと思ったのです。

---新井---
爪というとやっぱり爪フォーム矯正器?

---ヴィアゾフスキー---
そうだよ(笑)。毎日つけてる。昔はワシ爪で引っかかったり、音色がうまくコントロールできなかったり苦労しましたが、最近は理想に近づいてきました。

---新井---
爪の形って、手のひらから見た形ではなく、丸いか、への字、M字(ワシ爪)など、弦が爪をすべってぬけていくわけだから、どう生えているかが重要ですよね。佐々木先生のは爪の生え方から直してしまうというアイディア。これは本当最初???だったけど直るんですよね。僕もi、m、aの小指側が落ち込んでいたんだけど、よくなったよ。爪の硬さ、生え方によって変わるけど、3年くらい矯正してました。

---ヴィアゾフスキー---
僕もやはり3年くらい。けっこうバカにされたりするんだけど、実際良くなるのだから生え方の悪い人はどんどんやってみた方がいい。

---新井---
アーヘンに来てからもいろんなことが起こりましたね。

---ヴィアゾフスキー---
アーヘンに来てから、すべてがそろったという感じ。佐々木先生は余計なことを省いた正しい道を示してくれました。まずヴァイカースハイムでのコンクールで念願のコンサートギターを手に入れることが出来ましたし。アーヘンのディプロムは2002年に修得し今はコンサート試験科の2学期生です。

---新井---
現在の生活リズムは?

---ヴィアゾフスキー---
週に4日教えているので、レッスンのある日は朝8時から13.時までしか練習できません。週の始めに必ず練習計画表なるものを書きます。大曲が多いので1日2〜3曲しかさらえませんが、その曲の出来不出来は別として次の日は必ず他の曲を練習します。昔は8時間くらい練習していましたが、今はそんなに出来ません(笑)。

---新井---
暗譜の練習などはしますか?

---ヴィアゾフスキー---
ピアニストのハインリヒ・ノイハウス氏のメソッドで楽器も楽譜ももたず曲を頭で弾くというのを実践しています。移動のときなどに効果的です。

---新井---
運指を決めるのは早いですか?

---ヴィアゾフスキー---
難しい曲は2,3週間かけます。4つ5つの異なった運指を考えて、また実際にどれくらいのテンポでひくべきかで決めていきます。

---新井---
今までどんなギターを弾いていたのですか?

---ヴィアゾフスキー---
最初は父に買ってもらったロシア製オンボロギター(笑)。ポーランドでもらったアストゥリアス。その後はいろいろな人から借りて弾いてました。フランスにロッケモウやヴァイカースハイムでは、今井ステゥーデントモデル。

---新井---
今井ステゥーデントモデルでコンサートモデルをもらうなんて!!おしゃれなハナシだ!

---ヴィアゾフスキー---
今井ギターは神からの贈り物と考えています。佐々木先生には東京国際のときも強力なアドバイスをもらいました。たとえば、時差ぼけがどれくらいで直るとか、コンサートを用意してくれたり、泊まるところの手配もすべてやっていただき、あとは自分が行って弾くだけの状態にしてくださいました。

---新井---
昔は右も左もわからない、言葉も通じない日本に来てみんな大変だったんだよ。今はほとんどの海外参加者は自分で見つけているようですけど。

♪ 輝かしい入賞暦の裏に隠された秘話?

---ヴィアゾフスキー---
コンクールではラッキーなことも多いけど苦労も多いんです。会場に行くまでがコンクールというか、うまくたどり着けたことがない。

---新井---
たとえば?

---ヴィアゾフスキー---
93年ポーランドのドリ国際(1位)では39度の熱があってふらふらで参加しました。

---新井---
それで1位なんですか?日本の有名な女流ヴァイオリニストの諏訪内さんもチャイコフスキーコンクールで高熱なのに優勝したんですよ!

---ヴィアゾフスキー---
また94年ポーランド国際(2位)を受けるとき、ウクライナではコレラが流行して、外国に出るのが大変だった。そしてポーランド国境で僕の乗っていた車両で気分が悪い人がいて、国境警備隊はその男がコレラだと思って車両を切り離し、いろいろ検査されて12時間待たされました。結局その男は電車で一晩中飲んでいてただの二日酔いだったそうです。

---新井---
とんだ迷惑だね!!

---ヴィアゾフスキー---
まだあるんですよ!97年フランスのロッケモウ国際(2位)のときはパリからラリヨンに行きたかったのですが、途中の駅で切り離し真ん中からラリヨン行きとサン・マロ行きになって私はサン・マロ行きに乗っていたんです。途中の中継駅が終点型のえきで駅について先頭の引っ張る車両を切り離し今度は一番後ろに引っ張り電車をつけて進行方向が逆になるわけです。寝ていたものだから切り離したのを気づかなくて、気づくと逆方向を走っている。結局終点まで行って途中で何が起こったのかわかった(笑)。

---新井---
僕もコンクールではありませんがそういうことありましたよ(笑)

---ヴィアゾフスキー---
99年東京国際(1位)のときも悲惨でした。飛行機がドイツのケルン・ボンからパリ経由で東京だったのですが、大雪のため飛ばなかったのです。しかし佐々木先生が用意してくださった千葉でのコンサートがついた日の夜にあるので絶対に飛ばなくてはならなかった。だから急いで航空会社を探し、アムステルダムから東京行きがあるのをつきとめて電車でアムステルダムまでいき、8時間遅れで東京に着きました。2時間後にコンサートで弾いていました(笑)2001年アレッサンドリア(2位)のときはイタリアで着いたその日の22時からストライキというのが分かってなんとか電車の動いている時間にたどり着けました。2002年セゴビアコンクール(スペイン。1位なしの2位)ではなんとうまくたどり着いたのです!そのときは妻と一緒だったのですが、大晦日だったので少しお祝いしようとレストランを探したのですがほとんどが閉店か予約満席。何も食べるものもなく、2人で紅茶で乾杯しました。そして妻が「これでうまくいくわ」と新年を祝いました。

♪ コンクール一覧

1991 ドネツク(ウクライナ)2位
1993 ゾリ(ポーランド)1位
1994 ティシィー(ポーランド)2位
1997 ロッケモウ(フランス)2位
1997 ヴァイカースハイム(ドイツ)1位
1998 ヨーロッパYAMAHAコンクール(ドイツ)1位
1999 東京国際1位
2001 アレッサンドリア(イタリア)2位
2002 セゴビア(スペイン)1位なしの2位


---新井---
日本では子供のころ「家に着くまでが運動会です」って言われてたけど、会場に着くまでがコンクールだね(笑)。CD録音はどこでしたんですか?

♪ 大曲ぞろいのCDを2日間で録る

---ヴィアゾフスキー---
001年ゲルマーツハイムの音楽学校のホールで2日間で録音しました。ドライヤーガイドというドイツのレーベルです。

---新井---
2日間で!?ほとんど1発に近い?編集はそんなにしてないでしょ?

---ヴィアゾフスキー---
何テイクかとったけどどう編集したかはわからない(笑)。録音技師はエヴァース先生にギターを師事し、その後録音技師専攻も終了した人です。彼の技術を信頼しているので、編集は彼に任せきりでした。仕上がりは大変満足しています。

---新井---
次の録音の予定はありますか? 

---ヴィアゾフスキー---
アレクサンダー(レンガチ)とデュオを録音しようかと計画しているところですが、まだはっきりとは決まっていませんが、ボグダノヴィチ、コシュキン、ヴァシリエフ、ペレイラ、グラナドス等を弾こうと思っています。
---新井---
今後のコンサート予定は?

---ヴィアゾフスキー---
ドイツに帰ってからすぐにたしかハンブルグのYAMAHA。あとケルンでそれぞれソロコンサートをやります。6月にジュリアーニの協奏曲op36をケルナーシンフォニエッタと共演します。あと室内楽ではオーボエ、ファゴットとのトリオをやります。この編成はオリジナルが極めて少ないので多くは編曲物になります。また来年アレクサンダーと共に来日してジョイントコンサートをする予定ですが、詳しくは分かっていません。

---新井---
日本食はどうでしたか?

---ヴィアゾフスキー---
生魚食べた。あんなにたくさんは初めてです。ほとんど毎日食べてるよ。寿司は今晩行くんだよね?

---新井---
そう。超うまいから期待していいよ!!でも突然そんなにたくさんの生もの大丈夫?

---ヴィアゾフスキー---
今のところ平気です。

---新井---
最後に日本のファンに一言お願い。

---ヴィアゾフスキー---
コンサートに来てくださった方々、お忙しいところ本当にありがとうございます。また各コンサートの主催者、関係者の方々にも本当に感謝しています。今回は東京国際のときに頂いたサクライ・コーノで演奏しましたが、とても気持ちが良かったです。ありがとうございました!!

インタビューの後、現代ギター社のちかくの高級すし屋で桜井社長夫妻、福田進一氏、今井勇一夫妻と盛り上がった。

ホームページ http://www.viazovskiy.de/

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